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2010年8月6日金曜日

夏休み家族旅行(1日目・京都編)

2010年8月2日(月)~4日(水)の2泊3日で京都・大阪へ家族で夏休み旅行に行ってきた。家族旅行だが長男は不参加だったので、家内と長女の3人での初の電車での泊まりがけ旅行だった。飛行機や新幹線に乗ってみたい、USJに行きたい、海外旅行をしたいという長女のリクエストから今回は二つの希望(新幹線&USJ)に応えるべく京都・大阪行が決定。

8月2日(月)

4時に起床。6時43分発の「のぞみ201号」で京都へ。

京都駅のコインロッカーに荷物を預け、京都駅ビル2階の京都総合観光案内所(「京なび」)で冊子「龍馬と歩く京のまち」を手に入れ、いざ観光へ。サラリーマン時代に出張で何度か京都に降りたことはあったが、観光地を廻るのは高校の修学旅行以来となる。今回の目的は坂本龍馬や新選組の足跡をたどろうというもの。半日しかないのでかなりのダイジェスト版だが、猛暑のため当初の予定通りにはいかず後半はかなり予定を変更せざるを得なくなってしまった。

京都駅から地下鉄烏丸線で「烏丸御池」駅へ行き、そこで地下鉄東西線に乗換え「二条城前」駅で下車。最初に訪れたのは「元離宮 二条城」。「二条城」は、1603年に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の宿泊所として建てた城である。そして、1867年二条城二の丸御殿の大広間で15大将軍慶喜が大政奉還を奏上した。二の丸御殿の広さと豪華さに目を見張るとともに、今でも歩くたびにキュッキュッと鳴る「うぐいす張りの廊下」と言われる二の丸御殿の廊下に感動。ちょうど2日から改修工事が始まっており、二の丸から本丸へ通じる東橋が通行できず裏側の西橋まで迂回しないと本丸に行けなかった。せっかく来たのだからという思いから炎天下の中を本丸へ行ったのだが二の丸ほどの感動もなく、いきなり体力を消耗させられてしまう結果となりこれが最後まで尾を引く結果となった。

元離宮 二条城 唐門

「二条城」を出て地図を頼りに南下し次に訪れたのが「武信稲荷神社」。幕府に追われ身を隠していた龍馬が、ご神木の榎に「龍」の字を掘りお龍に身の安全を伝えたという逸話が残る神社。

武信稲荷神社

樹齢850年のご神木の榎は「えんの木」と呼ばれ恋愛の神様として知られている。神社のすぐ隣にはマンションが建っていたりするのだが、こじんまりとした神社の中だけは時間が止まってしまっていて今にも龍馬が現れるのではないかという気になってしまう雰囲気が漂っていた。

武信稲荷神社のご神木

ここからさらに南下し、阪急電鉄京都線を渡り、新選組の本拠地であった「壬生寺」へ。

壬生寺

壬生狂言で有名な寺院。境内の「壬生塚」には新選組隊士や芹沢鴨の墓、近藤勇の胸像などがある。今では敷地内にマンション、幼稚園、介護施設なども有しており、昔はかなり広いお寺であったようで、この広い境内で新選組の志士たちが武術の訓練をしていた様が想像される。

近藤勇の胸像

芹沢鴨の墓

「壬生寺」から新選組の屯所のひとつで芹沢鴨が暗殺された「八木邸」、遊女・明里と格子越しに別れを惜しんだ後、山南敬助が切腹したとされる「旧前川邸」、多くの隊士が眠っている「光縁寺」などを通り、阪急電鉄京都線「大宮駅」で電車に乗り隣の「烏丸駅」で下車。

もうすでに1時を過ぎており、お腹がすいたので「ゆばんざい こ豆や 錦店」で昼食。 食後、130ものお店が連なる「錦市場」へ。京漬物、和菓子、鮮魚、干物などのお店が2mほどの通路の両側にずらりと軒を並べている全長400m弱の「錦小路」。関東とは扱う食材が違っているし、夏場だったのでやたらと鱧が目についた。関東では夏場でもさほど鱧を見かけることはない。途中で「京とうふ藤野」直営の「こんなもんじゃ」で「豆乳ソフトクリーム」を食べた。甘さ控えめで後味がサッパリとしていてとても美味しかった。「豆乳ドーナツ」も魅力的だったが、さっき昼を食べたばかりだったのでガマン。

豆乳ソフトクリーム

「錦小路」を抜けた突き当たりに「錦天満宮」があり、さっきまでの「錦市場」とは打って変わって若者向けのお店の多い「新京極通」から「蛸薬師通」を抜け、「河原町通」に入ったところから再び龍馬ゆかりの地をめぐるコースへと進んでゆく。 まずは、「近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑)」へ。1867年(慶応3)年11月15日夜、龍馬は近江屋の二階で中岡慎太郎と会談中、刺客に襲われ命を落とした。現在は、コンビニ・サークルKになっており石碑が立つのみ。

近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑)

三条通から四条通の河原町、木屋町界隈は京都の繁華街で、藩邸や志士の寓居が密集しており、石碑を見ながら歩いていると幕末の人間ドラマが浮かび上がる。繁華街ゆえビルなどに建て替わってしまって石碑だけしか残っていないのはなんとも寂しい気がする。

本間精一郎遭難之地碑

土佐藩邸跡碑

「木屋通」へまわり、岡田以蔵に斬殺されたと言われる勤王の志士、「本間精一郎遭難之地碑」、「土佐藩邸跡碑」などを見ながら高瀬川沿いを北上すると「酢屋(坂本龍馬寓居跡之碑)」が見えてくる。龍馬が定宿とし、海援隊京都本部をおいていた創業290年の老舗材木商。2階の「ギャラリー龍馬」では、当時の部屋が再現されているそうだが、残念ながら時間の関係でカット。

酢屋(坂本龍馬寓居跡之碑)

1ブロック北の「三条通」の「海鮮茶屋池田屋 はなの舞」の前に「池田屋騒動之址碑」がある。1864年新選組が旅籠・池田屋で密談していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を急襲した。龍馬と仲の良かった望月亀弥太も命を落とした。

池田屋騒動之址碑

すでに予定の時間よりかなり遅れていたので、鴨川をチラ見しながら「三条大橋」を渡り京阪本線「三条駅」で電車に乗りひと駅南の「祇園四条駅」で下車。「四条通」を東へ進み「祇園」へ。猛暑の中を歩きまわったせいで二人の歩くペースがかなりダウン。 「花見小路通」を左折し、「建仁寺」へとすすむ。

花見小路通

「花見小路通」は石畳の通りで昔ながらのお茶屋さんや料理店が並ぶ京都屈指の風景のはずなのだが、「清水寺」までの道のりと途中に立ち寄りたいスポットのことを考えるとゆっくりと風景を楽しめる気分ではなくなってしまっていた。「建仁寺」から東へ進み、「東大路通」を渡り京都らしい風情たっぷりの路地「石塀小路」を抜け「高台寺」前の「ねねの道」に出た。

石塀小路

「高台寺」の脇の坂を登れば「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」と明治維新ゆかりの神社であり、墓地には坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎など多くの志士たちの墓が立つ「京都霊山護国神社」があるのだが閉館時間が迫っていることと疲労がピークに達していることから、大変残念ながら次回京都を訪れた時のお楽しみとすることにした。(帰宅してから、「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」が月曜日が休館日であることに気づき少しホッとした。)

二年坂

最後の力を振り絞り、「二年坂」、「三年坂(産寧坂)」を上り、途中で抹茶(ペットボトル)を飲んだり、みたらし団子を食べたりしながら世界文化遺産「清水寺」を目指した。石畳の参道で「二年坂」には竹久夢二の寓居があったといい、界隈には風情にあふれる町家が軒を連ねている。

みたらし団子

途中だいぶ日差しが弱くなってきたと思っていたのだが、「清水寺」に着いたとたんに西日ガンガン状態で残っている体力が絞り取られる感じ。国宝である本堂・舞台の優美さはもとより、舞台からは眺めも最高。ただ、定番の「奥の院」側から舞台を見た写真を撮ろうとしたが西日が強烈でいい写真が撮れずガッカリ。 清水寺

これ以上の観光は無理と判断し、京都・坂本龍馬や新選組の足跡をたどる旅は終了。

京都駅へ戻り、荷物をピックアップしホテルへチェックインすべく新大阪へ向かう。新大阪駅で地下鉄御堂筋線に乗換え、江坂の「新大阪江坂 東急イン」にチェックインした時は既に19時をまわっていた。暑さと歩き過ぎで食欲も出ない状態だったが、シャワーを浴び部屋のベッドで涼んでいるうちにお腹がすいてきた。iPhoneの食べログで調べ、すぐ近くの「玉出 とり一番本舗」へ行くことにした。このお店は大当たりでした。一日の疲れも吹っ飛び、店を出たときには三人とも笑顔、笑顔、笑顔。

長かった初日がやっと終了。皆さん、お疲れ様でした。

歴史に興味のない娘も我慢して付き合ってくれてありがとう。明日は君が楽しむ番だ。

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